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宝石の声なる人に(中)

以前も書きましたが、僕は学生時代友達と一緒に映画を撮っていました。
僕は芝居の経験があったので監督より演出のほうが得意だったのですが、
自分が監督した作品のうち、二つが「手紙」をテーマにした作品でした。
映像に、手紙のモノローグを被せるという本当に淡々とした作品でしたが、
それだけに、僕は主演していただいた人を「声」で選びました。
少し低めで穏やかで、深く心に届く声・・・よけいに淡々としてしまうのですが。
僕が演出する場合、動きの一つ一つや話し方、声のトーンまで完全に振り写しするのですが
作品を見返すと、自分の好みがまったく変わっていなくて思わず苦笑してしまいます。
今でも僕は、自分の好きな声を探す癖が直らないのかもしれません。

僕は、手紙を素材にして、離れて相手を想うときの気持ちを表現したかったのだと思います。
物理的な距離がなくても、会っていない時間に相手のことを考えている時に
それぞれの恋愛の本質があるのではないか、と思っていたからです。
かくいう自分も、誰かを好きになったときに必ず抱いてしまう感情があって、
それを天心の手紙の中に見つけたときは、涙が出そうになりました。



『私はますます、あなたの清らかに澄んだ月のような魂と、私がこざかしくも私の心と呼んでいるところのこの泥んこの沼とのあいだに横たわる、はてしないへだたりを思い知らされています。私はほんとにあなたにはふさわしくない男です――放埓で、利己的で、頑迷で、いやらしい獣で、ぼろぼろで、生のさまざまなみじめったらしい戦闘から受けた醜い傷あとをくっつけています。私はいったいあなたが何をこの私の中に見たのか、と思います。二人のあいだのこの素晴らしい出来事が、ほんとのこととはまるで思えません。私という人間は、結局のところ、一場の夢ではないのですか。』(1913年7月22日天心)


僕は相手のことを想うと、自分は逃げ出したくなるというおかしな癖を持っている。自分の悪いところを数え上げて一緒にいる資格ないんじゃないかとか、自分の存在が迷惑なんじゃないかとか思い込む。その結果、逃げ出したくなるのだ。または、自分に対して暴力的な感情を抱いて、自分の手で自分の一番大切なものを、壊したくなってしまう。自分には、人を好きになる資格も、好きになってもらう資格もないんじゃないかと本気で思っていて、時々その思考から抜け出せなくなる時がある。眠る前に色々と考えてしまい眠れない人は多いと聞くが、僕は目が覚めたときに自分の存在がまるで夢のように不確かなもののように感じて、どうしようも無くなって困ってしまう。もし、自分の存在が夢なら、自分にとって大切な人と過ごした時間が夢ならば、その夢がずっと続くように願えばいい。ただ、それだけのことなのだけれど。


遠く離れた恋人同士でなくても、相手となかなか連絡がとれず苛立つ、という経験をしたことのある人は多いと思う。勿論、好きな人に出来る限り会いたいと思うから会えなければ寂しいし、声を聞きたいと思ったときに聞くことができなければ悲しいと思う。自分は割と気が長い方で、寂しいと思うけれどそのことで相手に怒りを感じることはあまりない。それでも、思うように相手と連絡が取れずに凹んでしまったときは、プリヤンバダのこの手紙を読むと、その寂しい気持ちと苛立ちを表現することの上手さに感心すると共に、波立った自分の気持ちが凪いで行くのだ。


『なぜ、私が書かない限り、お手紙を下さらないのですか。気遅れなさっているのですか。忘れていらっしゃるのですか。もし本当の理由がわかれば、理不尽になったりしないよう、また今、私がしているほどにはいらいらしないように努力します。私に必要なのはあなたのお手紙、そのことは力説するまでもなく、私のふるまいが充分に証明しています――必要だからそうするのです。私はあなたが黙っていらっしゃる時でさえ書きます。あなたに手紙をさし上げて、私の欲するものをあなたからいただきたいのです。これはひどいことではないでしょう、いかがですか。なぜ、距離とか沈黙とかのまったく非物質的な物ごとが、徐々に固い壁になって立ち上り、光と天井の息吹を閉ざしてしまい、人を窒息しそうな暗闇の牢に閉じ込めてしまうのでしょうか。(中略)この常態となってしまっている別離はとても鋭い、しつこい苦痛ですから、時には生きていけそうになくなるかもしれません。けれども本当はそうでないことを信じています――人生そのものよりも、もっといとしいものによって苦しめられることは、至上のよろこびですもの。」(1913念7月27日プリヤンバダ)


こんなに率直なのに、きちんと理性を持って自分の気持を相手に伝えられるように自分もなりたいな、と思う。寂しさから来る苛立ちや会いたい気持ちを相手に伝えるのはすごく難しい。聞く方はどうしても耳が痛いし、あまりいい気分がしないばかりか、面倒くさいと思ってしまう人もいるだろう。負の感情を、相手に伝えるというのはほんとうに難しい。そのまま伝えようとすれば負の連鎖を生んでしまう。「いとしいものによって苦しめられることは、至上のよろこび」、これはほんとうに殺し文句だなぁ、と僕は思わず笑ってしまう。その痛みも苦しみも、相手の存在がなければもたらされないものならば、それすらもよろこびであると・・・なかなかそこまでの心持ちになれないと思うけれど、自分に問うてみればそうだなぁ、と妙に納得してしまう。僕の場合は、相手とやっと連絡がとれたことにほっとして、相手の声が聞けることが嬉しくて、嬉しさでもう、そういう気持ちがすべて消えてしまうので、相手に伝える機会を逸してしまうだけなのだけれど。



(後編に続く)
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