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ヌーヴェル・ヴァーグ

たまには、僕の好きな映画の話でもしようと思う。
ここ一ヶ月くらいの間、僕は、自分の持てる言葉のすべてを使って、
ある人に、どうしても伝えたいと思っていることがあった。


「好きな人の運転する車に飛び込んでいって轢かれたい、と冗談を言っていたんだ」
それを聞いて僕は、「それ僕の好きな映画と同じだ!」と思わず興奮して叫んでしまった。
だってそんな映画みたいなこと、考える人がいると思わなかったから。

ゴダールの「ヌーヴェルヴァーグ」は、男が車にはねられてしまうことから始まる。
女は倒れている男を助けるか一瞬迷うのだが、男に声を掛け、手を差し伸べる。
しかし助けた男は、事故の後遺症なのか記憶を失っていて自分が何者かわからない。
女は美しい自然に囲まれ、なにもかも恵まれた自分の屋敷に男を連れていき、共に暮らす。

身元のわからない男は、女の家族から浮浪者扱いされるが、
二人はまるで初々しい恋人同士のように、ぎこちなくはあるが常に寄り添っていた。
ある日、湖に漕ぎ出したボートから、男が落ちてしまう。
しかし女は、一度助けたはずの男に手を差し伸べようとしなかった。
男の姿は、湖の底に消えて行く。

一年後に、死んだはずの男にそっくりな実業家が現れ、女の経営する会社が買収される。
あまりに似ているので同じ人でないかと疑うが、双子の兄だと言う。
確かに、死んだ男が無口で繊細そうだったのに比べ、目の前の男は全く同じ姿であるのに
快活で仕事も有能で・・・と性格は別人のようだ。
女は訝しがりながらも、かつて自分が見殺しにした男の兄に心惹かれていくのだった。

ある日、二人は以前と同じように、湖にボートを漕ぎ出した。
一年前の出来事を思い出すのか女が落ち着かずにいると、男が女をボートから突き落とす。
女は溺れかけるが、突き落としたはずの男が手を差し伸べ、女の手を掴む。

この映画を初めて観た19歳くらいのとき、訳がわからなくて混乱した。
一度助けておいてまた殺そうとした女の気持ちもわからなかったし、
再び現れた男が復讐のために女を殺そうとしたのかと思ったら、助ける。
そして、最後に仲睦まじくキスをするシーンがあるのだが、まったく理解できなかった。
ただ映画の中で繰り返し出てくる、「手を差し伸べよ」という言葉が印象に残った。

今なら、この映画の中に隠れている、人を愛するためのメッセージがわかるような気がする。
また何年か後に見たらまったく違う感想を持つかもしれないし、あくまで自分の解釈だが
愛しあうことは時に、お互いを殺し合うくらい、傷つけ合うものかもしれない、と思う。
しかしお互いに本当に相手を想っているならば、乗り越えてさらに理解し合うことができる、
言うのは簡単だが、とても難しいことだと思う。

人は弱いから、どうしても相手から受けた傷を気にしてしまうし、傷つけられたくない。
甘い言葉、優しい言葉を掛けて欲しいと願ってしまう。
本当に自分を想って言ってくれる言葉に耳を塞いでしまって、
好きな相手だからこそ、どうしてそんなことを言うんだろうとくよくよする。
好きな人には、自分のすべてを受け入れて欲しい。
かつての自分も、そんなことを考えていたかもしれない。

映画中では、結局二人の男が同一人物だったかどうかは明かされていないが、
自分は、男が女に愛されようと変わったのではないか、と思っている。
映画はあまりにも極端すぎるけれど、人は自分次第でいくらでも変わることができる、
人生はやり直しがきくという言葉があるけれど、やり直すというよりは
自分が変わろうとしなければ変えることが出来ない、と自分は思っている。
(麻雀もそうだ、勝てないときは運も勿論あるが、自分がどこかバランスを崩していて
それを自分で見つけて、修正していかなければならない。
自分の弱さを直視し修正出来る人が、麻雀に強い人なのだと思っている)


自分に今まで差し伸べられた手や、自分が差し伸べた手のことを思い出す。
僕は以前、差し伸べられる手を全力で拒否し払いのけ続けてある日、
なぜかその手をすんなり、握り返すことが出来たのだ。
手を差し伸べよ、という言葉は、誰かを助けるために伸ばす手のためでなく、
助けられる方も手を伸ばさなければならないということの意味もあると、気付いた。
それでも僕は、今の自分に自信がない。もっと強くなりたい。
一年経って生まれ変わって現れた男のように、もし再びその人の前に立つときは、
もっと強い自分になっていたい、と願うのだ。
でも僕のその願いは、差し伸べられた手があってこそ生まれた願いだ。
いつかまた手を繋ぐ日があるとしたら、僕の手が温かく感じられることを願う。


誰かを助けたい、手を差し伸べたい。君はそう願っていた。
願ってはいたけれど、迷ってもいた。
僕はそれに対してなんて答えたか、すっかり忘れてしまったけれど、
ずっと胸の中にすっきりしない違和感が残っていた。
誰かを助けようと思ったら自分が強くなくちゃいけない、とか
それなりの覚悟がいる、とか。自分の中にある言葉を探したけど、
まず自分が出来ていないし、なんだか当てはまらないような気がした。

誰かを助けようなんて自分の思い上がりだ、自分は人並みのことも満足に出来ないくせに、
そう考えるたびに凹むけれど、自分のできることがあったらしたいと思ってしまうのも自分だ。
ただ分かっているのは、やさしさだけで人を助けることはできない。
僕は、そのことを自分で思い知るために、此処にいる気がする。
だから、僕もずっとその答えを探しているのだ。
たくさんの言葉を尽くしても、君にいまいちうまく伝わらないことをもどかしく思っていたけど
言葉で伝えようなんて、きっと僕は間違っていたのだろう。
間違いではあったけれど、伝えようとしたことに後悔はしていない。
「失敗もするかもしれないけど、君は君なりの答えを見つけて欲しい」
今の僕なら、君にこう言うと思う。
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